SLが走る、自然と木綿の街
真岡市へようこそ
浄土系宗派(注・1)の1つで、宗旨は時宗(じしゅう)です。
時宗の開祖は一遍上人(いっぺんしょうにん)です。鎌倉時代の末期、文永11年〔西暦1274年〕を開宗
の年とします。念仏(注・2)をお称えし、極楽浄土の主・阿弥陀如来を本尊とします。
時宗の開祖〔1239〜1289〕。『捨聖』(すてひじり)と呼ばれています。
一遍上人の出自は、伊予(現在の愛媛県)の河野氏(注・3)です。上人は、地位・名誉・自己を飾り立て
るものを一切捨て、鎌倉時代の荒れた世相を嘆き、民衆に仏の教えを広める為、日本全国を行脚しまし
た。これを「遊行(ゆぎょう)」といいます。
一遍上人の跡を継いだ、時宗教団最高位の僧侶を「遊行上人」或いは「お上人」と呼びます。現在の
「お上人」は、遊行七十四代・真円上人(しんえんしょうにん)です。
遊行寺(ゆぎょうじ)です。
正中二年〔1325年〕、遊行四代・呑海上人(どんかいしょうにん)により開創されrました。
正式名称は「清浄光寺(しょうじょうこうじ)といいます。しかし、古来「遊行上人のおいでになるお寺」、
「遊行寺」と呼ばれ、その通称が一般的に知られています。
神奈川県藤沢市にあり、東海道で最大級の本堂をその伽藍に擁します。
時宗をの宗紋は、「折敷に三文字紋」、「隅切三(スミキリサン)」(注・5)です。これは一遍上人が出られ
た伊予の河野氏の家紋から採られました。
長蓮寺は西暦1297年に一遍上人の高弟、真教上人が開創しました。
それから時代が下がり、稲葉正成公が真岡二万石の城主となりましたのが、1627年です。
長蓮寺はその頃、真岡城の鬼門方向にありました。ここで、稲葉正成公と時宗長蓮寺の思わぬ縁が
生まれます。稲葉家の家紋は、「折敷に三文字紋」、つまり長蓮寺の寺紋(時宗の家紋)と同じなのです。
正成公は、この偶然に驚きました。実は、この「折敷に三文字紋」は、瀬戸内海の大三島に鎮座する三島神社
(大山祇神社(注・6)とも称される)の神紋であり、大三島大明神を氏神とした越智氏(注・7)の家紋となりまし
た。そして、越智氏から分かれた一族も又、「折敷に三文字紋」を家紋としました。著名なものとしては鎌倉期
に河野水軍を率いて瀬戸内海を治めた河野氏、戦国期に活躍した稲葉氏、来留島氏などがあげられます。
稲葉氏と一遍上人が出自した河野氏は、活躍した時代は違えども伊予越智氏から分かれた一族であり、それ
ぞれ歴史上に名を残す人物を輩出しています。正成公は、「折敷に三文字紋」が証する稲葉家と宗祖一編上人
を仰ぐ時宗との縁を大切にし、家臣を引きつれて長蓮寺を参詣されたとのことです。
長蓮寺の宗旨について
一遍上人について
時宗の総本山について
稲葉正成公(注・4)と長蓮寺について
注・1:浄土宗、浄土真宗、時宗、融通念仏宗ほか。
注・2:極楽浄土の主、阿弥陀如来の名を称えること。「南無阿弥陀仏」を称えること。
注・3:伊予の国の豪族。源平の争乱期には河野道信(こうのみちのぶ:一編上人の祖父)が源義経に従って各地に戦功をあげ、
1281年の蒙古襲来時に、河野水軍を率いて活躍した河野通有(こうのみちあり:一遍上人の従兄弟)の名が知られている。
注・4:いなばまさなり〔1571〜1628〕:戦国・江戸時代の武将。徳川家光の乳母、春日局(かすがのつぼね)の前夫。春日局の
出世により、稲葉一族は再興した。
注・5:時宗の僧侶は、「スミキリサン」と呼ぶ。
注・6:「オオヤマズミ」と読む。
注・7:古代、伊予国の国造をしていました。
TEL:0285-82-3732 E-Mail:info@chorenij.org
〒321-4305 栃木県真岡市荒町1037
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平成17年に、長蓮寺境内に墓地区画を新たに造りました。区画の大きさ・使用料等詳細に
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